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coffee break  「日本の農のアジヤ的様式について」  真壁 仁

越後平野の百姓も、手で畦を撫でていた。
畦は落差をささえながら、山山の谷間までのびて棚田をつくっている。
畦に水が湛えられると、日本の全風景は大きな湖となってしまう。
そこに禾本科の草が実をむすぶのだ。
その草のことを
古くはニイバリといい、アキマチグサといい、トミクサともいった。
インドではウリヒ、ギリシャではオルザ、フランスやイタリヤではリツといった。
アジヤの南では湿地に自生していた。

この島には
弥生式の文化にともない、中国を通ってきたという。
あるいは黒潮にのって大スタンダ列島を出てきたのでもあろう。
ぼくらは森林を焼き払って火耕の農をいとなんだあと、
しだいにこの種の北限をすすめてきた。
ぼくらの手がまだ鉄を鍛える前から、その生産の原形式はきまっていた。
それはアジヤの全域に共通していた。
そして
現代の手もそのときのように畦をなでている。
機械はまだ泥ふかい水の中にはいってこない。
山の傾斜を匐いあがりもしない。

なぜ! とそれは問わなければならない。
ぼくらは
手がリーパアになっていることについて、
モーアに代わっていることについて、
手が精密で器用であることについて、
精神も手になっていることについて、
葦原の葦より多い手の数について考えねばならぬ。

つくられた農機すら赤く銹びて雨にさらされている。
それが、みだりに手を殖やすなとさけんでいるのを知らねばならぬ。

 真壁仁 第3詩集 「日本の湿った風土について」(1958年)から

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