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スミ塗り文書(乙85)について  (1)南台41番地の権利関係を空港公団が明示した一件書類

Incamera_mono_sss  耕作権裁判で開示を追求している“スミ塗り文書”とは、「藤﨑政吉所有地(事件番号91)の取扱いについて(案)」と題する、1987年(S62)10月20日付の空港公団(現空港会社)調査報告書のこと。

 空港公団は1970年(S45)11月、藤﨑政吉氏所有の南台41番地の土地について、土地収用のための裁決申請を行った(「91」はこの時の事件番号)。しかしこの時点で、空港公団は土地の耕作状況(権利関係)を把握できなかったが、その後の買収交渉に伴い、石橋政次、根本和之助、市東東市の三人が小作耕作していたことが判明した。藤﨑氏は1984年(S59)5月、土地を7筆に分割し、3人の耕作場所を測量して図面にした。
 空港公団はこの調査結果をもとに、1986年(S61)6月、土地収用委員会に対して、小作権者の存在と耕作面積・場所を明記して変更手続きを行っている。報告書は、小作権を収用するための詳細な調査報告だった。
 この報告書の添付資料には、誰がどこを耕していたかを記した図面が添付されている(右図参照)。その図面のほぼ中央に「市東東市」の文字が見える。太い線で囲まれた畑の形状と位置は、市東孝雄さんが一貫して主張し、現在も耕作を続ける場所と一致している。

 南台41番地における市東さんの耕作場所を示す証拠は他にもあるが、空港公団が詳細な調査の上に一件書類としてまとめあげ、その結果をもとに土地収用委員会に対して権利関係を確定させた報告書ほど、確かなものはないはずだ。ところが公団は、それから半年弱のうちに、これとは異なる場所・形状を記した偽造文書(「境界確認書」「同意書」)を作成し、市東さんには内緒で土地の売買を行った(1988年4月12日)。
  だから空港会社は、自分たちに都合の悪いこの報告書の提出をかたくなに拒否し、文書提出をめぐる約2年間の攻防の末に、白石史子裁判長のインカメラ(裁判所の判断による一部不開示)の制約はあったものの、証拠として法廷に引き出されたのだった。

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