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2017年7月

8・10請求異議裁判へ  ──会報最新号を発送

K40  請求異議裁判の第3回口頭弁論が、8月10日(木)に開かれます。7月末発行の会報40号は、この裁判に向かう市東さんの思いとこの裁判のポイントを掲載。26日に発送作業を行いました。ぜひご覧ください。

 会報は年4回、会員・協力者のみなさんにお送りしてます。2006年に農地取り上げ問題が発生し、市東さんの闘いを支援しようと会が発足しました。それから11年、私たちは現地調査や勉強会、シンポジウムを重ね、裁判傍聴に取り組んできました。あらためて、さらに多くのみなさんの入会をお願いし呼びかけます。
 8・10請求異議第3回裁判傍聴へ、多くのみなさんご参加ください。

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スミ塗り文書(乙85)について  (3)いまなぜ、スミ塗りの開示が必要なのか?!

Incamera  今回、このスミ塗り文書があらためて問題になったのは、空港会社の御都合主義的な釈明による。

「乙85は、昭和45年頃の耕作状況から推測したもの」(原告空港会社準備書面)だというのである。だから、これは不正確であり、その後につくられた「境界確認書」「同意書」(偽造文書のこと!)の添付図面が、市東さんの賃貸借地だと主張する。
 だがちょっと待て! 「推測した」というが、何をもとに、どのように推測したというのか? 肝心要のそこがスミ塗りされていては、市東さんも弁護団も調べようがない。
 土地収用委員会にまで提出したほどの「確かな証拠」を「推測した」にすぎないものへと評価変えするのなら、すべてを開示して根拠を示さなければならない。そうでなければ、裁判所としても判断のしようがないはずである。

 空港会社に肩入れして核心部を闇に葬るか、それともスミ塗りを解いて公正公平に判断するか、裁判所の真価が問われている。

▼右は「藤﨑政吉所有地(事件番号91)の取扱いについて(案)」と題する空港公団の調査報告書の一部。まるで“海苔弁”状態。3人の耕作者と耕作場所を明記した図面は、この文書に添付されていた

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スミ塗り文書(乙85)について  (2)合わせ図

_85_  「藤﨑政吉所有地(事件番号91)の取扱いについて(案)」(1987年10月20日付)に添付の図面に、偽造文書に添付の図面(1988年4月)を合わせてみた。

 「市東東市」を囲む白線が、空港公団報告書に明記された市東さんの耕作地。偽造文書(「境界確認書」「同意書」)に添付の図では、「41-8」と「41−9」とふたつの畑に切り分けて市東さんの耕作地とされている(黒の実線)。
 「41−9」を、市東さんは耕作したことがない。ここは石橋政次氏の借地だった。
 

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スミ塗り文書(乙85)について  (1)南台41番地の権利関係を空港公団が明示した一件書類

Incamera_mono_sss  耕作権裁判で開示を追求している“スミ塗り文書”とは、「藤﨑政吉所有地(事件番号91)の取扱いについて(案)」と題する、1987年(S62)10月20日付の空港公団(現空港会社)調査報告書のこと。

 空港公団は1970年(S45)11月、藤﨑政吉氏所有の南台41番地の土地について、土地収用のための裁決申請を行った(「91」はこの時の事件番号)。しかしこの時点で、空港公団は土地の耕作状況(権利関係)を把握できなかったが、その後の買収交渉に伴い、石橋政次、根本和之助、市東東市の三人が小作耕作していたことが判明した。藤﨑氏は1984年(S59)5月、土地を7筆に分割し、3人の耕作場所を測量して図面にした。
 空港公団はこの調査結果をもとに、1986年(S61)6月、土地収用委員会に対して、小作権者の存在と耕作面積・場所を明記して変更手続きを行っている。報告書は、小作権を収用するための詳細な調査報告だった。
 この報告書の添付資料には、誰がどこを耕していたかを記した図面が添付されている(右図参照)。その図面のほぼ中央に「市東東市」の文字が見える。太い線で囲まれた畑の形状と位置は、市東孝雄さんが一貫して主張し、現在も耕作を続ける場所と一致している。

 南台41番地における市東さんの耕作場所を示す証拠は他にもあるが、空港公団が詳細な調査の上に一件書類としてまとめあげ、その結果をもとに土地収用委員会に対して権利関係を確定させた報告書ほど、確かなものはないはずだ。ところが公団は、それから半年弱のうちに、これとは異なる場所・形状を記した偽造文書(「境界確認書」「同意書」)を作成し、市東さんには内緒で土地の売買を行った(1988年4月12日)。
  だから空港会社は、自分たちに都合の悪いこの報告書の提出をかたくなに拒否し、文書提出をめぐる約2年間の攻防の末に、白石史子裁判長のインカメラ(裁判所の判断による一部不開示)の制約はあったものの、証拠として法廷に引き出されたのだった。

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