裁判

〝空港会社の違法は、権利濫用5類型の全部〟──内藤補佐人が空港会社の違法を直撃 7・17請求異議裁判報告(3)

 「私は陳述において、本件強制執行が、市東氏の営農権を侵害する過酷執行であり、『人間としての尊厳』(憲法13条)を踏みにじる重大な権利侵害であり違憲であることを論証する」──内藤光博補佐人(憲法学)は、冒頭、こう切り出した。

 ここで「過酷執行」とは、権利濫用的で基本的人権を侵害する強制執行のこと。憲法に反するから、してはならない。この核心に踏み込むために、内藤補佐人はまず、農を営む権利としての「営農権」保障を憲法の中に求めた。
 なによりも憲法前文にある平和的生存権。「……われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
 そして25条の生存権。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
 「恐怖と欠乏」「健康で文化的な最低限度」のいずれにおいても、食料生産のための農業(営農)の存在が大前提。内藤補佐人は、農業および営農が人間の生存と平和構築に不可欠であり、高い憲法的価値を有するものだと論述した。
 そして、
 「たしかに日本国憲法に「農業」の言葉はなく、世界の憲法を見てもそれは少ない。だがスイス連邦憲法104条(農業)の強化改正や、フランスの農業法案、韓国憲法改正法案では、主に「食糧安保」や「農業の多面的機能」「公益的価値」の視点から、農業の憲法的価値を明らかにして、憲法による農業保護を規定している」
 内藤補佐人は、このように最新の状況を詳しく紹介するとともに、補佐人が「営農権」として提唱する新たな権利について話し始めた。

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〝空港会社の暴挙に対して、義憤にかられてこの場に立った〟    石原健二補佐人  7・17請求異議裁判報告(2)

 補佐人として証言台に立った石原健二氏(元立教大学教授)は、冒頭、自身のかつての三里塚体験(農業に希望を抱いた青年たちと、その中の一人の自殺)を話した上で、「戦地からの帰還の遅れから残存小作地の扱いにされ、市東さんの合意なく売買して取り上げるとは、公的機関としては考えられない暴挙。義憤にかられてこの場に立った」と言って陳述を始めた。
 いま、日本の農業は存続できるかどうかの瀬戸際にあり、市東さんの農業はその中で生き残る一つの示唆を与えていると訴えた。

・日本農業のかつてない危機
 石原氏はかつてない日本農業の危機的姿についてメモも見ないで詳細な数字を上げていく。
 2018年、食料自給率37%。農業生産額は11.5兆円(90年)から2015年8.8兆円と5年で3兆円近く減額した。農家戸数は1990年の297万戸から2017年125万戸にまで激減。他方、企業の農業参入は2016年2676社と激増している。
 農地面積は1961年の607万ヘクタールから2017年444万ヘクタールにまで下がり、国の言う安全水準をとっくに超えて下がり続けている。
 三里塚を中心とする北総台地は、岩手北部、鹿児島、北海道とならぶ優良農業地帯であり、農業構造改善事業の一環としてシルクコンビナートを誘致したが空港によってつぶされた。空港が農業をつぶした証拠をあげれば、空港設置の1966年に1,520戸あった専業農家は、開港の1970年にはわずかに314戸と、5分の1にまで激減している。

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裁判所に迫る圧倒的な説得力!  石原・内藤両補佐人が意見陳述  7・17請求異議裁判報告(1)

20180717s_2  昨日(17日)午後、請求異議の第8回裁判が開かれ、石原健二氏と内藤光博教授が、農業経済学と憲法学の立場から意見をのべた。裁判長に着席を促されたが起立したまま、それぞれおよそ1時間30分近くにわたってふるわれた熱弁は、圧倒的な迫力と説得力をもって法廷を席巻し、終わると大きく長い拍手が響きわたった。

 石原氏は、有機農業と産直型協同性(提携)を進化させてきた市東さんの農業が、危機に貧する日本農業においてたいへん意義深く、再生の方向を示唆するものであることを、詳しい農業指標と、世界の動向から論証し、これを潰そうとする空港会社の強制執行を、人間社会に対する敵対であり権利濫用であるからやめるべきだと訴えた。
 内藤教授は、強制執行は執行時の農地・生産手段の破壊にとどまらず、その後においても市東さんの誇りと生きる希望を奪い続けることから「二重の意味での過酷執行」、権利濫用であると論断した。また、「営農権」を憲法的人権に位置づけるべきとの理論を展開し、スイスや韓国の憲法における農業条項と、フランスを含めてその強化に向かう最新の動向を紹介して、この裁判の意義を明らかにした。
 空港会社の強制執行が、学説上、権利濫用の五つの類型に、ことごとく当てはまるという指摘では、空港会社は顔面蒼白。傍聴席からは失笑ととともに怒りが交錯する声が上がった。

 公開の法廷における陳述は、やはり圧倒的である。傍聴したすべての人がこのことを、感動をもって実感した。
 両補佐人の陳述を受けて、弁護団が次々に最終弁論に向かうエッセンスを述べ、次回(9月27日)に最終弁論の全体と市東孝雄さんによる最終意見陳述を確認し閉廷した。
 石原・内藤両補佐人による陳述の詳細は次回。

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9月27日に最終弁論! 弁護団主張の通り決着  請求異議進行協議(7/9)

 本日、千葉地裁で請求異議裁判の進行協議が行われ、最終弁論の期日を9月27日(木)午後とすることが決定されました。前回、高瀬裁判長との間で物別れに終わった協議は、弁護団の粘り強い闘いで、その主張通り、補佐人陳述とは別の日に弁論期日を設けることで決着しました。

 この結果、請求異議裁判の進行は以下のとおりとなります。

 ・7月17日(火)午後2時
   石原健二、内藤光博両補佐人による陳述(各1時間程度)
   その後、弁護団による弁論(最終弁論概要)
 ・9月27日(木)午後
   弁護団の最終弁論と市東孝雄さんの最終陳述
   (開廷時間は7月17日に決めます)
    したがって、この日が口頭弁論終結予定となります。

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注目の石原・内藤証人尋問  高瀬裁判長が「補佐人意見」を口述する折衷案を提示  請求異議裁判進行協議(7月3日)

 3日午後、千葉地裁で、市東さんと弁護団が強く要求している専門家証言についての進行協議が行われた。高瀬裁判長は証人による「証言」ではなく、「補佐人」として意見を述べる折衷案を提示し、次回期日(7月17日)に最終弁論と併せて行い結審とする旨、述べた。
 最終弁論を別期日に入れるよう求める弁護団と折り合えず、結論のでないまま協議は終了した。
 以下は、進行協議を終えた弁護団の報告。

・弁護団としては、石原健二証人と内藤光博証人の2名にあえて絞って、専門家証人の採用を求めた。
・これに対して高瀬裁判長は、専門家の証言を不要とすることに変わりはないが、強い要望があるので、折衷案として「補佐人」の立場で法廷で意見を述べていただくということでいかがかとの異例の提案を行った。
・弁護団は納得できない部分もあるとしながらもがこれを受け、最終弁論を別期日に設定するよう要望した。
・ところが、高瀬裁判長は、7月17日に補佐人と最終弁論の両方をやり、この日に結審とする意向を変えず膠着した。
・弁護団は、裁判長に再考を促して協議を終えた。

〔補佐人〕
 民事訴訟において,裁判所の許可を得て当事者または訴訟代理人とともに口頭弁論期日に出頭し,自己の有する専門的,技術的知識によって,その弁論を補助する者をいう。 一種の代理人であるとされている。
 したがって、証人に対するような尋問はおこなわず、意見書をもとにして意見を口頭で述べることになる。

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〝強制執行は農民としての命を奪う。裁判長は正義を貫いて欲しい〟  市東孝雄さん本人証言  6・28請求異議裁判報告(3)

2  市東孝雄さん原告本人が証言台にたった。強制執行が空港会社の権利濫用であることは、執行がもたらす破壊的事態をそのまま証言することで明らかとなる。
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 証人尋問は、孝雄さんの生い立ちと天神峰の暮らしに始まり、取り上げ対象の農地に移った。
 孝雄さんの祖父・市太郎さんは1912年(大正元年)に天神峰に飲食の店を開いたが、御料牧場の縮小にともない、1921年ごろ隣の取香部落の二人の地主(藤﨑と岩澤)から土地を借りて農業を始めた。以後、父・東市さんを経て、三代百年耕し続けてきたのが、取り上げられようとしている農地。戦後の農地改革で自作地となるべきだったが、父・東市さんの復員の遅れで不利に扱われ、残存小作地となった。
 対象農地の詳しい面積や位置が証言によって確認され、一部、場所の特定を間違えた空港会社が「自力救済」の違法を犯した農地のことなどが証言された。
 この一連の証言の中で市東さんは、マスコミが公団の発表を鵜呑みにして「不法耕作」と書いたことについて、「代々耕してきた土地であり、ほんとうに腹がたった」と話した。この農地は関連裁判(耕作権裁判)で争っているが、「仮に強制執行されれば、この畑も作物もろとも荒らされるし、フェンスで囲まれれば使えなくなる」と訴えた。

 さらに、家を弟・芳雄さん(1972年12月3日事故で死亡)にまかせて外に出て働いた孝雄さんが、父・東市さんの死に直面し、実家に戻って農業を継いだ経過が、東市さんの遺言書などで明らかにされた。その遺言書の内容からしても、地主が公団に土地を売っていたことを、東市さんが知らなかったことは明らか。「同意者や境界確認書に署名・捺印するはずはない」と証言した。
 そして、「国策で戦争に8年間取られた上に、また国策で土地を取られることに怒りをもっていたと思う」と東市さんの思いを語っている。

▼多見谷判決、──違法手続きと反社会的司法の手助け
 公団が底地を買収していたことを、孝雄さんが知ったのは新聞記事(2003年12月25日朝日新聞)だという。ここにも空港会社の非道と不誠実は明らかだが、空港会社は、買収後15年間も地主に地代を受け取らせてきた。
「公団、地主が一緒になって自分を騙していた。親父に黙って底地を売ったが、こんな不義理をすればふつうは村八分。収用委員会の事務局長も、そんな前例はないと答えた」と、このような売買は無効だと訴えた。
 そして、
「空港会社は自分たちが地主だと言って話し合いを求めてきたが、白紙の立場で臨むのが話し合いではないか。一方的に明け渡しを迫るのは押し付けであって話し合いではない」と、「公共事業」に名を借りた空港建設の根本問題を指摘した。
 この尊大な姿勢のまま、空港公団(黒野総裁=当時)は、移転のための代替地や離作補償を示し、畑の明け渡しを迫ってきた。市東さんは、「有機の農地、100年耕作の農地をカネに変えることはできない」と言ってきっぱり断った。

 他方、成田空港円卓会議では、「用地取得にあたっては、あらゆる意味で強制的手段を用いてはならず、あくまでも話し合いで解決」(隅谷調査団提言)を公団、運輸省、千葉県が確認した(1994年10月11日)。
 その趣旨について、市東さんは、「話し合いが進まなければ、用地取得をあきらめるのが筋」と受け止めた。「あくまでも話し合いで解決、とはそういうことだと理解していた」という。
 ところが最高裁不当判決に至った本件基本事件では、一審・多見谷裁判長が、「話し合いが頓挫した場合についてまで言及したものではない」と勝手に(主張も立証もなく)判決に書きこみ、高裁・最高裁が踏襲した。
 市東さんは、「多見谷裁判長が勝手に作った理屈だ」と強く否定し、強制執行が違法な手続きと反社会的な司法の手助けで行われる権利濫用であることを明らかにした。

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〝有機農業と産直を潰し、東峰住民には見せしめ攻撃〟  ──萩原富夫さんの証言  6・28請求異議裁判報告(2)

Photo_2  請求異議の訴えは、最高裁判決に基づく空港会社の強制執行が、実は社会正義に反して無効であり、強行してはならないというものである。法廷では、強制執行が権利濫用にあたることを軸に主張が展開されてきた。
 前回、小泉英政・加瀬勉両証人が小泉よねさんに対する土地収用と、市東孝雄さんの強制執行がまったく同質であることを証言し、一方における謝罪・和解と、他方における強制執行の矛盾を明らかにした。今回、市東さん本人と産直共同生産者の萩原富夫さんの証言は、当事者の立場から権利濫用性を明らかにするものである。

 まず萩原富夫さん。証言は大きく二つの柱で行われた。一つ目は、強制執行がもたらす有機農業・産直運動への破壊的影響であり、二つ目は東峰住民追い出しとの同質性である。市東さんに対する強制執行は、合理的な根拠も正義もなく、東峰地区にとっては〝見せしめ執行〟であることが証言によって明らかにされた。

▼有機農業・産直運動への破壊的影響
 萩原さんは先代の進さんと市東東市さんらが始めた「産直の会」の運動を詳細に証言した。「現在、市東さんと2軒合わせて3.2ヘクタールの畑を耕し、60品目、細く分ければ100種近くの有機野菜を栽培し、東京・千葉を中心に約400世帯と提携して直送している」という。
 無農薬・無化学肥料で徹底し、有機の土壌づくりに心血を注いでいること、会の運動は生産者と消費者の信頼の上に成り立っていること。とりわけ長い取り組みの中で作られたこの信頼に基づく提携関係は、運動の根幹をなしており、日本が発祥の地であることから「TEIKEI」という国際語にまでなっていることを証言した。
 そして、市東さんに対する強制執行は、かけがえのない有機の土壌と産直型協同性(提携のネットワーク)を根底から破壊するとして次のように証言した。
「強制執行は市東さんの農業と生活をまったくできなくさせるものだが、そればかりではない。産直の会としては、有機の畑の35パーセントを失うことになる。消費者を維持しようとすれば1戸あたりの出荷量を減らすことになり、量を維持しようとすれば一部消費者にやめてもらうことになる。いずれにしても信頼関係が損なわれ、協同性の根幹が崩れる」「土壌づくりを始めた1980年から40年近くにもなる有機農業と産直運動の土台が崩され、会も存続できなくなる」と証言した。

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強制執行の不許可求め気迫の証言  市東孝雄さん本人・萩原富夫証人  6・28請求異議裁判報告(1)

_s  6月28日、千葉地裁で請求異議裁判(民事第5部高瀬裁判長)が開かれ、原告・市東孝雄さん本人と、産直共同生産者の萩原富夫さんが証言した。農地取り上げの強制執行が、その生活と有機産直運動にいかなる事態をもたらすかをリアルに証言して、強制執行の不許可を強く求める気迫の証言となった。

 「取り上げようとしているのは開墾から百年耕し続けた畑。親父が死んで、それを継いでどこが悪いか!」
 市東さんは90分に渡る証言の最後に怒りを込めてこう締めくくり、裁判長に「正義を貫いてほしい」と訴えた。
 萩原富夫さんは、市東さんと一緒に進める産直運動が生産者と消費者にとってかけがえのないものであることを詳細に証言した。また、空港による東峰地区破壊の歴史をたどって、市東さんへの強制執行が集落にとっては〝見せしめ〟であると訴えた。

 市東さんと萩原さんの生活・農業実践を踏まえた証言は、専門家の客観的知見から、その意義が明らかにされなければならない。証言で、農業経済学に基づく石原健二証人の採用の必要性が、ますます浮き彫りになった。
 証言終了後、弁護団は石原氏の補充意見書を提出して証人採用を強く迫った。「専門家の意見書は鑑定意見書と同じものと受け止めている(証言によらずとも読めばわかる)」として、採用に消極的な裁判長との間で膠着し、7月3日午後に進行協議を行うことを予定して、結論はその場に委ねられた。

 お二人の証言は、強制執行を阻止するこの裁判の集大成。前回の小泉英政・加瀬勉両証人の証言を受けて、権利濫用を明確にするものとなった。これまでの主張・立証が、確信に満ちた堂々たる証言で確かなものになったのである。お二人の証言が終わると、法廷は大きな拍手に包まれた。
 期待される石原証言は、「有機農業と産直型協同性の社会的意義」に関するもの。市東さんらの農業(家族農業、有機農法と産直型協同性・提携のネットワーク)が、世界の趨勢からしても先進的であり、壊滅的危機にある日本の農家・農業の再生にとっていかに意義深いことであるか明らかにする。それを生み出しているものこそ、まさに強制執行の対象である市東さんの農地である。「へ」の字誘導路直線化にとって不可欠などという空港会社の説得力のない主張など、その前にはひとたまりもない。なんとしても、石原証人の採用を!

 証言の詳細な報告は次回

〔写真〕裁判報告会で傍聴人にお礼を述べる市東さん
 
 

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専門家証人の採用を強く要求  ──5・24請求異議裁判報告(4)

 証言の中で小泉英政さんは、市東さんの父・東市さんをめぐるエピソードを紹介してくれた。

 胆管がん を発症したよねさんは入院先で「家に帰りたい」と訴えた。最後はその願いを聞き入れて、東峰の仮づまい(反対同盟が建てたプレハブ小屋)に移して療養した。そこに東市さんはたびたびやってきたが、あるときよねさんに、「ばあちゃん、次はオレの番だ」と話したという。
 小泉さんは、このことを、療養中のよねさんを世話した宮城節子さん(故人)から聞いたという。市東孝雄さんも、同じことを生前親交のあった宮城さんから聞かされている。

 小泉さんは「結局、弱い立場の者に対して、見せしめ的にやってくる。今、こうして証言するとは思いもしなかった」と語っている。よねさんと市東さんの畑の類似性、同質性は、こうした東市さんの言葉にも明らかだ。

 お二人の証言後、法廷では陪席裁判官の交代にともなう更新意見陳述が行われた。その後、閉廷予定を30分超えて、石原健二(農業経済学)、内藤光博(憲法学)、鎌倉孝夫(経済学)の三氏の証人採用を強くせまった。実体験による証言とともに、専門的知見に基づく客観的証言は不可欠。すでに意見書は出されているが、それを読めばよいというものではない。
 高瀬裁判長は即答を避け、検討することとしたが、次回(6月28日)の証言を、萩原富夫さんと市東孝雄さん本人とすることは予定どおりとした。

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〝執行は積み上げた人生と生きる意欲まで奪い取る〟  ──加瀬勉さんの証言  5・24請求異議裁判報告(3)

Photo_5  続いて加瀬勉さんが証言台に立った。加瀬さんは1934年に多古町牛尾で生まれた84歳。富里計画案の段階から地域住民の空港反対闘争に関わってきた。
 1970年、小泉よねさんの田畑、宅地が収用手続きの対象になると、その暮らしを守るために敷地の離れに住んでよねさんと一緒に田畑を耕した。
 1907年(明治40年)に農家の三女として生まれたよねさんは「家が貧しく7歳で子守奉公にだされた。洗濯、飯炊き、畑などあらゆることをやったが、一文字も習うことは許されなかった。19歳の時に東京に出て皿洗いや旅館で働き、23歳で千葉に戻って成田で働き、大木実さんと所帯を持って取香で生活するようになった。実さんが亡くなったあとは一人で暮らしていた。わずかな田畑と近くの畑仕事を手伝い、野草やドジョウ、ザリガニを採ったという。風邪を引けば、這っていって井戸の水を飲み、熱があれば食わずに寝る。置き薬もなければ、民生委員の世話もない。
 加瀬証人は、陳述書にもまとめた、よねさんから聞いた話を概括的に述べたあと、「本来、政治はこういう人を救うためのものだが、空港が決まると権力は徹底的に迫害した」と言って、次のように証言した。
「毎日2回、機動隊とガードマンがやってきて、よねさんに向かって罵声を浴びせた。〝糞婆でてゆけ〟〝早く死ね〟〝ごうつく婆〟。必死に抗議したが、ある日、あまりの悔しさに、よねさんは罵声を浴びせる機動隊に向かって、着物の裾をまくって性器をあらわにし、〝この婆が憎いなら股に警棒を差し込んで殺せ! お前らもここから生まれてきたんだぞ〟と叫んだ」
「ここまで追い込まれたよねさんを見て、人間の尊厳を冒涜する権力を絶対に許せない、見て見ぬふりはできないと思った」

・生きるための最低限を破壊した代執行
 1971年9月20日の強制代執行はだまし討ちだった。前日19日友納知事は翌日の代執行の中止を表明、反対同盟と支援は闘争体制を解いた。よねさんは収穫した稲の脱穀をすることにした。加瀬さんと石井武さんが手伝った。だが…
「朝の9時から作業を始めて一把こいて、ふと見ると高台に機動隊と作業班が見えた。代執行きたな、と思った。家を壊す大型機械が動きだし、入り口のところで何か文書を読み上げていたが脱穀機の音で聞こえない」
「機動隊がよねさんに手をかけ、うなりをあげる脱穀機から引き剥がそうとした。脱穀機はすごい勢いで回転していたのでとても危険だった。稲わらをつかんで抵抗するよねさんに向かって、突然、機動隊の一人が顔面を盾で水平に打ちつけた。前歯が折れ、よねさんは仰向けにたおれた」
「私はとっさに覆いかぶさったが、よねさんは気絶して黒目がなかった。掴みかかった機動隊はとっさに手を引っ込めたが、死んだと思ったに違いない」
「まもなく機動隊何人かで抱え上げ連れ出そうとしたが、よねさんは白い髪を振り乱し、恨みと怨念のすさまじい形相で機動隊を睨み返した」

 加瀬さんは執行現場の暴力をリアルに証言し、命の住処を奪われたよねさんと、反対同盟が東峰に作った仮住まいをみてこう思ったという。
「人間は飯が食えなかったら食えるようになろうと頑張るし、飯が食えるようになったら家を持とうと頑張る。次から次へと希望をもって生活を築いていく。ところが代執行後のよねの家は借り物だった。よね婆が汗して作ったものはなにもない。苦労して、汗を流して頑張って、蓄積してこそ誇りと自信が生まれるし、人間は絶望しないで生きられる。公団はよねさんの生存権の根本を破壊した。補償で何を償うというのか!」

 加瀬さんの証言は、小作と地主の関係と残存小作地、農地法の法目的から市東さんの農地問題に展開した。
「市東さんは地主との間で小作契約を結んでいた。遅滞なく地代を払い信義を犯したことは一度もない。他方で、地主・藤﨑は秘密裏に小作地を売り渡し、地主づらして15年間も地代を受け取っている、これは公団と結託した詐欺行為だ」
「空港建設は国家犯罪の集積。三里塚に司法の正義はなかった」と弾劾した。

 最後に裁判長に向かって、戦後の食糧難の時代に闇市で命をつなぐ庶民を、 「闇米食って裁けない」と言って餓死した山口判事の名をあげて、正義の裁きを行う姿勢を問いただした。そして、
「〝耕すものに土地を〟は普遍の原理」
「市東さんから、積み上げた歴史のすべてを奪う強制執行はやるべきでない」としめくくった。

 加瀬さんの証言で、よねさんを追い詰めた過酷な執行の状況が再現された。それは住処と田畑を破壊するにとどまらず、人としての尊厳を踏みにじり、それまで積み上げてきた人生と生きる意欲までも奪い取るものだということを教えている。
 小泉さんと加瀬さんの証言を受けて、来月、いよいよ市東さん本人と産直共同生産者の萩原富夫さんの証言が行われる。

Photo_3 〔写真上〕よねさんを組み伏す機動隊
〔左図〕加瀬さん作成の執行現場手書き図

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