裁判

専門家証人の採用を強く要求  ──5・24請求異議裁判報告(4)

 証言の中で小泉英政さんは、市東さんの父・東市さんをめぐるエピソードを紹介してくれた。

 胆管がん を発症したよねさんは入院先で「家に帰りたい」と訴えた。最後はその願いを聞き入れて、東峰の仮づまい(反対同盟が建てたプレハブ小屋)に移して療養した。そこに東市さんはたびたびやってきたが、あるときよねさんに、「ばあちゃん、次はオレの番だ」と話したという。
 小泉さんは、このことを、療養中のよねさんを世話した宮城節子さん(故人)から聞いたという。市東孝雄さんも、同じことを生前親交のあった宮城さんから聞かされている。

 小泉さんは「結局、弱い立場の者に対して、見せしめ的にやってくる。今、こうして証言するとは思いもしなかった」と語っている。よねさんと市東さんの畑の類似性、同質性は、こうした東市さんの言葉にも明らかだ。

 お二人の証言後、法廷では陪席裁判官の交代にともなう更新意見陳述が行われた。その後、閉廷予定を30分超えて、石原健二(農業経済学)、内藤光博(憲法学)、鎌倉孝夫(経済学)の三氏の証人採用を強くせまった。実体験による証言とともに、専門的知見に基づく客観的証言は不可欠。すでに意見書は出されているが、それを読めばよいというものではない。
 高瀬裁判長は即答を避け、検討することとしたが、次回(6月28日)の証言を、萩原富夫さんと市東孝雄さん本人とすることは予定どおりとした。

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〝執行は積み上げた人生と生きる意欲まで奪い取る〟  ──加瀬勉さんの証言  5・24請求異議裁判報告(3)

Photo_5  続いて加瀬勉さんが証言台に立った。加瀬さんは1934年に多古町牛尾で生まれた84歳。富里計画案の段階から地域住民の空港反対闘争に関わってきた。
 1970年、小泉よねさんの田畑、宅地が収用手続きの対象になると、その暮らしを守るために敷地の離れに住んでよねさんと一緒に田畑を耕した。
 1907年(明治40年)に農家の三女として生まれたよねさんは「家が貧しく7歳で子守奉公にだされた。洗濯、飯炊き、畑などあらゆることをやったが、一文字も習うことは許されなかった。19歳の時に東京に出て皿洗いや旅館で働き、23歳で千葉に戻って成田で働き、大木実さんと所帯を持って取香で生活するようになった。実さんが亡くなったあとは一人で暮らしていた。わずかな田畑と近くの畑仕事を手伝い、野草やドジョウ、ザリガニを採ったという。風邪を引けば、這っていって井戸の水を飲み、熱があれば食わずに寝る。置き薬もなければ、民生委員の世話もない。
 加瀬証人は、陳述書にもまとめた、よねさんから聞いた話を概括的に述べたあと、「本来、政治はこういう人を救うためのものだが、空港が決まると権力は徹底的に迫害した」と言って、次のように証言した。
「毎日2回、機動隊とガードマンがやってきて、よねさんに向かって罵声を浴びせた。〝糞婆でてゆけ〟〝早く死ね〟〝ごうつく婆〟。必死に抗議したが、ある日、あまりの悔しさに、よねさんは罵声を浴びせる機動隊に向かって、着物の裾をまくって性器をあらわにし、〝この婆が憎いなら股に警棒を差し込んで殺せ! お前らもここから生まれてきたんだぞ〟と叫んだ」
「ここまで追い込まれたよねさんを見て、人間の尊厳を冒涜する権力を絶対に許せない、見て見ぬふりはできないと思った」

・生きるための最低限を破壊した代執行
 1971年9月20日の強制代執行はだまし討ちだった。前日19日友納知事は翌日の代執行の中止を表明、反対同盟と支援は闘争体制を解いた。よねさんは収穫した稲の脱穀をすることにした。加瀬さんと石井武さんが手伝った。だが…
「朝の9時から作業を始めて一把こいて、ふと見ると高台に機動隊と作業班が見えた。代執行きたな、と思った。家を壊す大型機械が動きだし、入り口のところで何か文書を読み上げていたが脱穀機の音で聞こえない」
「機動隊がよねさんに手をかけ、うなりをあげる脱穀機から引き剥がそうとした。脱穀機はすごい勢いで回転していたのでとても危険だった。稲わらをつかんで抵抗するよねさんに向かって、突然、機動隊の一人が顔面を盾で水平に打ちつけた。前歯が折れ、よねさんは仰向けにたおれた」
「私はとっさに覆いかぶさったが、よねさんは気絶して黒目がなかった。掴みかかった機動隊はとっさに手を引っ込めたが、死んだと思ったに違いない」
「まもなく機動隊何人かで抱え上げ連れ出そうとしたが、よねさんは白い髪を振り乱し、恨みと怨念のすさまじい形相で機動隊を睨み返した」

 加瀬さんは執行現場の暴力をリアルに証言し、命の住処を奪われたよねさんと、反対同盟が東峰に作った仮住まいをみてこう思ったという。
「人間は飯が食えなかったら食えるようになろうと頑張るし、飯が食えるようになったら家を持とうと頑張る。次から次へと希望をもって生活を築いていく。ところが代執行後のよねの家は借り物だった。よね婆が汗して作ったものはなにもない。苦労して、汗を流して頑張って、蓄積してこそ誇りと自信が生まれるし、人間は絶望しないで生きられる。公団はよねさんの生存権の根本を破壊した。補償で何を償うというのか!」

 加瀬さんの証言は、小作と地主の関係と残存小作地、農地法の法目的から市東さんの農地問題に展開した。
「市東さんは地主との間で小作契約を結んでいた。遅滞なく地代を払い信義を犯したことは一度もない。他方で、地主・藤﨑は秘密裏に小作地を売り渡し、地主づらして15年間も地代を受け取っている、これは公団と結託した詐欺行為だ」
「空港建設は国家犯罪の集積。三里塚に司法の正義はなかった」と弾劾した。

 最後に裁判長に向かって、戦後の食糧難の時代に闇市で命をつなぐ庶民を、 「闇米食って裁けない」と言って餓死した山口判事の名をあげて、正義の裁きを行う姿勢を問いただした。そして、
「〝耕すものに土地を〟は普遍の原理」
「市東さんから、積み上げた歴史のすべてを奪う強制執行はやるべきでない」としめくくった。

 加瀬さんの証言で、よねさんを追い詰めた過酷な執行の状況が再現された。それは住処と田畑を破壊するにとどまらず、人としての尊厳を踏みにじり、それまで積み上げてきた人生と生きる意欲までも奪い取るものだということを教えている。
 小泉さんと加瀬さんの証言を受けて、来月、いよいよ市東さん本人と産直共同生産者の萩原富夫さんの証言が行われる。

Photo_3 〔写真上〕よねさんを組み伏す機動隊
〔左図〕加瀬さん作成の執行現場手書き図

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〝市東さんの問題に生かされなければ、シンポも和解も意味がない〟  ──小泉英政さんの証言  5・24請求異議裁判報告(2)

Photo_4  証言の最初は小泉英政さん。経歴を紹介し、よねさんとの出会い、養子となって遺志を引き継ぐに至った思いが明かされた。
「よねさんはわずかな農地と近所の畑手伝い、里山の恵みによる自給自足の生活を送っていた。住まいは生き延びる最低限の終の棲家。だから闘って強制執行をくい止め、土地と住まいを守るしか生き残る道はなかった」

 だが、政府・空港公団と機動隊はさまざまな迫害の末に、強制代執行で住まいを破壊し田んぼを強奪した。代執行の一年半後に、よねさんは失意の中で体調を崩し、胆管がんを発症し、1973年12月17日に「(自分の)家に帰りたい」という言葉を残して東峰の仮住まいで亡くなった。公団の不手際で残された畑も、その四年後の1977年に明け渡し仮処分で、抵抗する英政さんを排除し、ほうれん草やそら豆を無残に潰して奪い去った。
 英政さんは畑の裁判(空港公団による明渡裁判)を闘う一方、1971年強制代執行に対して緊急性もない〝見せしめ執行〟だとして、処分の取り消しを求めて行政訴訟を起こし長い裁判闘争に入った。

 畑の裁判は、空港公団と結託した地主・藤崎勘司の偽証で敗訴。行政訴訟は地裁、高裁と敗訴したが、2001年に最高裁で、国・公団の全面的な謝罪を前提に和解成立した。公団総裁は「この地で二度と『小泉よねさん問題』のような不幸な出来事を繰り返してはならないと決意する」と談話を発表した。
 これを踏まえて小泉さんは、東峰の空港用地内に無条件で畑(使用権)を取り戻した。生活権補償は、仮補償のままの違法状態が続いたが、代執行から43年後の2015年5月21日に最終的に解決した。これは市東さんの裁判の口頭弁論終結後のことであり、「謝罪」と「二度と繰り返さない(強制的手段の放棄)」の表明を踏まえ前提にしたこととして重大な意味を持つ。

・市東さんとよねさん問題の構造はまったく同じ
 以上の実体験のもとに、小泉さんは、市東さんの農地問題について次のように証言した。
「市東さんの農地問題とよねさんの、特に畑の問題はまったく同じ構造。話し合いの努力を尽くさず、農地法を無視して市東さんの同意を得ることなく、秘密裏に地主から土地を買収して明け渡しを求めるのは、よねさんの畑を強奪した手法を踏襲するもの」
 そして空港会社に対して、
「市東さんに謝罪し、生活を脅かさず、強制執行しないと約束し、裁判を取り下げて、対等な関係に戻す」ことを求めた。

 また、成田空港シンポジウムの「強制的手段の放棄公約」に関しては、一審多見谷判決が、「話し合いの努力が頓挫した場合のことまで約束したものではない」との勝手な解釈を加えたことについて問われて、
「そのような解釈は聞いたことがないし、あるはずもない。強制的手段を取らないということは、あくまで取らないということ。そうでなければ、謝罪・反省の意味がない」と真っ向から否定した。

 最後に、裁判所に望むことを問われて、
「私の陳述書と証言をしっかり受け止めてほしい。市東さんの問題に、シンポや私の裁判の結果が生かされなければ、やったことの意味がない」
「裁判長は市東さんの畑を見に来てほしい。いかに市東さんが真剣に農業に取り組んでいるか、強制執行しても誘導路の現状がなにも変わらないこともわかるはずだ」と訴えた。

 よねさんに対する強制代執行は、人が生き延びるための最低限を守る過酷な闘いだった。英政さんと、その後の加瀬勉さんの二人から期せずして「よねさんの怨念」の言葉を聞いたが、その怨念を背負い、奪われた尊厳を取り戻そうとした小泉英政さんの静かな口調の証言は、だれも語ることのできない説得力を持つものだった。裁判所にもインパクトを与えたに違いない。

〔写真〕小泉よねさん

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核心つく証言が法廷を圧倒!  小泉英政・加瀬勉両証人 5・24請求異議裁判報告(1)

 5月24日、千葉地裁民事第5部(高瀬裁判長)で開かれた請求異議裁判で、争点の核心をつく重要証言が実現した。

 〝最高裁の判決はあるが、その執行は社会正義に反しており、してはならない〟
 ──小泉英政・加瀬勉両氏による、制限時間を目一杯使った証言は、この裁判の核心部、「法の正義」を鋭く問う迫真の内容となった。

 よねさんの尊厳の回復と奪われた畑を取り戻した小泉さんは「市東さんの問題と、特によねさんの畑の問題は大変似ている」としたうえで、その実体験を踏まえて、空港会社に対して、「市東さんに謝罪し、生活を脅かさず、強制執行しないと約束し、裁判を取り下げて、対等な関係に戻す」ことを求めた。
  加瀬さんは、過酷な執行現場をリアルに語って、「空港建設は国家犯罪の集積」「三里塚に司法の正義はなかった」と断じ、「〝耕す者に土地を〟は普遍の原理。市東さんに対する強制執行は絶対に許されない」と強く迫った。
 静かに言葉を繰り出す小泉さんと、政府・空港会社を終始激しく糾弾する加瀬さんと、証言は対照的だったが、じつに、説得力と力あふれる堂々たるものだった。
 お二人の証言が終わると、期せずして傍聴席から感動と感謝の拍手がわきあがった。

 市東さんは、「証言に感動した。よねさんのリアルな話を聞いて、自分のことと共通するところがよくわかった。頑張る決意をあらためて固めた」と話している。

 お二人の証言の内容は次回

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ついに、空港会社に隠匿文書の開示を勧告!  5・14耕作権裁判で内田裁判長

 5月14日、千葉地裁民事第2部(内田博久裁判長)で、通算37回目の耕作権裁判が開かれた。この法廷で内田裁判長は、それまでの訴訟指揮を一転させて、空港会社に対して〝墨塗り文書〟の任意開示を勧告した。市東さんと弁護団の粘り強いたたかいで、証拠の偽造の真相を明らかにする一歩が開かれた。

 この問題は、賃借農地の位置と空港会社が提出した偽造証拠(甲8、甲9号証)の真相を明らかにするもの。ことの発端は、空港会社による賃借農地の位置の誤認。畑の位置を間違えていながら、市東さんを「不法耕作」呼ばわりしているが、その証拠として会社は、父・東市さんの署名とする偽造文書を法廷に提出した。
 2011年10月、弁護団は関連する文書の提出命令を申し立てた。当時の白石史子裁判長によって不当な訴訟指揮が続いたが、特別抗告の高裁で差し戻しとなり、インカメラによって一部が開示された。
 開示された文書には、市東さん主張のとおり、空港会社の認識変えを示す図面(乙85号証:耕作位置図)が含まれていた。しかし大半が〝のり弁〟の墨塗り状態。真相が闇に消されたまま不当な訴訟指揮が続いてきた。

 だが、賃借位置の間違いをめぐって矛盾を深める空港会社は、自分にとって不利な「耕作位置図」について、「図面は昭和45年の耕作状況から推測したにすぎないもの」などと、苦し紛れに弁明し、証拠価値を薄めようした。だが「推測した」とする肝心要の根拠は、のり弁状態の墨で隠されたままなのだ。
 その開示を求めたが、内田裁判長は「文書問題はすで結論がでている」「これ以上やりとりすることではない」との態度で会社の盾となった。そこで弁護団は新たな文書提出命令を申し立てた。その対応如何で裁判官忌避─裁判中断にもなりかねない緊迫した闘いが続いたが、ついにこの日の勧告となった。
 空港会社はなおも隠し通すことができるのか。「任意開示」というが、裁判所による勧告には重いものがある。開示を拒否すれば当然インカメラになるが、それで収まることではない。

 法廷では、位置をめぐる空港会社の曖昧な主張を追及し、これも会社側が主張を整理することが確認された。
 また、筆跡鑑定について、空港側の主張に対して反論が行われ、専門家証人の意見書と陳述書などの具体的準備を行うことが確認された。

 次回の法廷は9月3日、次々回は11月19日。いずれも月曜日、10時30分開廷。

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写真上:裁判報告会で挨拶する市東さんと弁護団
写真下:インカメラで公開された墨塗り文書をかざす遠藤弁護士

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空港会社の執行主張をうち砕く大弁論  3・8請求異議裁判 報告(2)

 成田空港会社は準備書面5(2月9日付)で、強制執行が適法であると主張している。その柱は、①「強制執行が権利の濫用にあたるのは特異な事態の場合であって、並大抵の事情でないと容認できることではない」、②「その訴えは口頭弁論終結後に生じた事由に限る」というもの。そして最高裁の確定判決を錦の御旗に、強制執行が正当だと主張している。
 だが、まさにその確定判決は、弁論主義の大原則を踏み破る不当判決(一審・多見谷判決)をそっくり踏襲したものだ。多見谷判決は、「強制的手段の放棄」の公約について、「これは話し合いが頓挫した場合についても、強制的手段を講じることがないとまで言及したものではない」などと、空港会社さえ主張してない解釈を勝手に加えて空港会社に肩入れした。高裁・最高裁はこの粗雑・違法な判決を踏襲したのである。
 しかもこの公約は、強制執行段階なって初めて現実のものになる。空港会社は、公約が円卓会議(1994年)のことだから「口頭弁論終結(2015年3月4日)後の事由」ではないと主張するが、まさに執行の当否が問われる今、「強制的手段の放棄」が現実化しているのである。
 弁論の冒頭、葉山弁護士がこの空港会社の主張を打ち砕く弁論を展開した。これに続いて各弁護士が、準備書面5で出された空港会社の主張をひとつひとつ崩した。

 まず大口弁護士が、昨年7月15日にB'滑走路南端で発生したあわや大惨事というべきオーバーラン事故をとらえて、強制執行は住民をまきこむ重大事故の可能性を増大させることを論述した。さらに、長谷川弁護士が、市東さんの有機農業と産直型協同性について仔細に語り、空港会社の無用無益な工事に比して、強制執行が営農に回復不能の打撃を与えることを論述した。
 続く西村弁護士は、「離作補償」を掲げながらその未払いを開き直り、立ち退かない今の時点で支払えば「補償の二重払いになる」という空港会社の驚くべき暴論に反撃し、この状態の強制執行は「不誠実な手段・経緯によって取得・帰属する権利の行使」にあたるから不許可とすべきだと論断した。

 ところで空港会社は、「判決が確定し立ち退かなければ当然、強制執行となる」と言って、「強制執行を行う必要性、相当性」の有無は執行力を左右するものではない主張している。これに対して遠藤弁護士は、たとえ確定判決があろうとも、法は「信義に従い誠実に行使されるべきであって濫用してはならない」としていることを判例を引いて論述し、空港会社は"恫喝執行"だと論難し、なお強行するなら再び流血の事態を引き起こすと弾劾した。
 最後に一瀬弁護士が、提出された学者三氏の意見書を踏まえた弁論を展開した。
①「NAAの空港経営と市東氏の農地・農業について ──その公共的意義を比較検証する」(鎌倉孝夫 経済学)
②「市東氏の有機農業と産直型協同性の社会的意義に関する意見書 ──本件民事強制執行によって喪失する社会的価値は多大であり、成田空港会社が得る効果との間に均衡を欠き、同強制執行はしてはならない」(石原健二 農業経済学)
③「市東孝雄氏の農地法事件における民事強制執行権行使の違法性および違憲性 ──空港会社の「公約違反」および「営農権」の侵害に基づく「権利濫用論」の視点から」(内藤光博 憲法学)
それぞれ力のこもった意見書のエッセンスを論述することで、強制執行がもつ権利濫用と社会的価値・効果の著しい不均衡が明らかにされた。

 その後の裁判進行についてのやり取りは前回報告のとおり。学者意見書については、そのエッセンスを改めて紹介します。

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小泉、加瀬、萩原、市東さん本人を採用するも、拙速・結審の動き露骨   3・8請求異議裁判 報告(1)

 3月8日、千葉地裁民事第5部(高瀬裁判長)で請求異議裁判(第5回)が開かれた。この日いちばんの焦点は、審理を尽くさず早期結審に向かう高瀬裁判長との証人採用攻防。
 法廷は冒頭、入庁時の持ち物検査に抗議し、その後、弁護団が最高裁確定判決を盾に強制執行を主張する空港会社(準備書面5)に対する全面的な反論を行った。(圧巻の弁論の詳細は別途報告)
 その後証人採用問題に移り、高瀬裁判長は以下を表明し、原告・被告双方に意見を求めた。

 ・小泉英政、加瀬勉、萩原富夫、原告・市東孝雄本人を尋問する
 ・期日は、5月24日と6月28日の2期日とする

 これに対して弁護団は、決定の4証人に加えて、鎌倉孝夫、石原健二、内藤光博3氏の学者証人の採用を強く求めた。
 証人調べでは、当事者証人とともに客観的に意見を述べる学識経験・専門家証人の証言が不可欠。市東さんにとって命と言うべき農地の収用を、権利を振りかざして押し切る空港会社に対して、審理を尽くさぬ訴訟指揮は許されない。
 高瀬裁判長は、当事者個々の証人と学識経験者の証言の性格の違いを認めながらも、「検討するが期待はしないでくれ」と逃げを打ち、「7月17日に弁論期日(最終弁論だ!)を予定する」と結審の意図をあからさまにした。
 6月28日に予定される 尋問調書もできないなかで、最終弁論がどうしてできるのか! 終わりを区切った拙速審理は絶対に許されない!

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農民の人権は踏みにじられている!  シンポジウムで熱い論議(1) 11・23 文京区民センター

_s  11月23日、文京区民センターで、恒例のシンポジウムが開かれました。「憲法と農業──農民の人権は守られているか」をテーマにした今年のシンポジウムは、講演と鼎談、緊迫する市東さんの裁判報告、沖縄からの特別報告など、ギュッとつまった内容の濃い勉強会になりました。
 冒頭、坂本進一郎共同代表からのメッセージ。「農業の復権は護憲運動と表裏の関係。農業再生には安倍政権の反動性を否定し、真の意味での民主主義の再生が必要」と、シンポジウムの成功を呼びかけました。

・強制執行の違憲性と「農業・営農権」保障の憲法的意義
 第1部「講演とディスカッション」で、講演に立った憲法学の内藤光博教授(専修大学)は、安倍内閣の改憲は、「9条を変えずに自衛隊を加えるだけ」というが、加憲によって「戦力不保持・交戦権否認の9条2項を無力にする」と批判。自民党改憲草案の「公益及び公の秩序」は基本的人権よりも国家利益を優位に転換する。市東さん事件と成田の土地収奪はその先取りだと指摘しました。
 そして71年小泉よねさんに対する強制代執行は〝過酷執行〟であって、市東さんに対する民事強制執行はこれと同質の権利濫用であり、「強制的手段の放棄の公約破棄」と「基本的人権の根源的侵害」という点で、二重の意味での権利濫用になると批判しました。
 さらに内藤教授は、試論と断りながら、農業及び農業を遂行する行為(農業・営農権)は憲法上の基本的人権として位置付けられるべきものと提起。農業の衰退と農家廃業、地域崩壊の現状を念頭に置きつつ、生存権的財産権としての農地、さらに個人の尊厳、生存権や労働権の視覚(憲法25条、29条、13条、27条)から問題を提起しました。

・食料自給論と食料主権のない日本
 この講演を受けて、石原健二さん(農業経済学)、三宅征子さん(消費者・市民運動)が加わって鼎談に。
 石原さんは、「生存権的財産権は食料自給論が基底になくてはならない」として政策問題を核心的に説き起しました。61年農業基本法の「生産費所得補償」に始まりながら、小規模農家を切り捨て、農産物を際限なく自由化し、企業の農業参入を制度化しその価格支配をもたらし、TPPに至った負の歴史は、食糧自給の考え方を持たない日本の農政にあると、怒りを込めて話しました。内藤教授による憲法学からの問題提起を鮮明に裏打ちする内容でした。
 また三宅さんは、憲法前文を引きつつ、「自国民のための食料生産確保を最優先し、食料・農業政策を自主的に決定する権利」としての〝食料主権〟の視点から、食料自給率が象徴する自由化と定義の後進性を問題提起しました。さらにスイス憲法における農業の位置付けとこれを強化した今年の国民投票を紹介。「市東さんと萩原さんによる産直野菜の消費者は、それを選ぶことによって健康な食生活を維持する権利を行使している。国は、市東さんの農地が侵害されないことによって得られる消費者の権利を守ることに努めなければならない」と結びました。
 市東さんの農地裁判を念頭に、「憲法と農業」「農民の基本的人権」を考えるシンポジウムの第1部は、内藤教授の講演と問題提起をベースに熱い論議がなされ、稲作農家の討論を含めて、じつに刺激的で示唆深い内容になりました。

 ──以上が第1部の報告です。第2部「緊迫の成田! 強制的手段による農地取り上げは許されない」は次回に。

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文書提出めぐり攻防  市東さん“シンポジウム参加”を呼びかけ    11・20耕作権裁判

_tr  11月20日、千葉地裁民事第2部(内田裁判長)で耕作権裁判が開かれた。現在の焦点は、空港会社が隠し持つ交渉記録・報告書の提出問題。弁護団が前回裁判で文書提出命令を申し立てた。
 弁護団の申立に対して、内田裁判長もさすがに「命令の要無し」とすることはできず、8件ある 個々の調査記録や報告書について、存在するかどうかの再調査(会社は存在しないと言って逃げている)や、その調査についての疎明資料を提出するよう空港会社に求めた。そのうえで白石史子裁判長(2013年文書提出問題の時の裁判長)の段階で「マスキングしている部分についても手続き」を進めるとし、スミ塗り部分について自らインカメラに応じるとした。
 この進行は弁護団の申立てについて一定応える進行であるが、文書提出を命令したわけではない。空港会社の回答期限をわずか2週間後の12月4日にしようとするなど、空港会社と裁判長のやりとりとを聴いていると、「形だけでいいから対応しろ」と言っているように聞こえ、法廷では弁護団と傍聴者が抗議の声をあげて反撃した。

 この日は冒頭、弁護団が二つの書面を陳述した。一つは、偽造文書の筆跡と印影の鑑定結果(準備書面35)。二つ目の書面(準備書面36)は2本の柱で、①民事強制執行における権利濫用は「71年小泉よねさん問題の再来であり、基本的人権そのものの収奪」というもの、②さらに市東家が小作契約を開始した時期に関して、証拠により「遅くとも1927年(昭和2年)に賃借し耕作を行なってきた」としたうえで、江戸時代からの形成史と市東家の入植状況などの諸状況から大正10年には小作耕作を開始していたと主張した。

 裁判後の報告会で、市東さんは「裁判所は、裁判を早く終らせたいという姿勢が随所に出ている。畑を取られることは農家をやめろということなので、しっかり頑張る。11月23日の文京区民センターのシンポジウムは為になる話が出ると思うので、みなさんぜひ参加してください」と訴えた。
 裁判前には千葉市中央公園から裁判所までデモ行進を行なって農地取り上げの不当を市民に訴えた。
 次回裁判は2月19日(月)、次々回は5月14日(月)。いずれも10時30分開廷。

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高瀬裁判長の強権的訴訟指揮を弾劾、尋問の期日指定を撤回させる  請求異議第4回裁判(11月6日)

 6日午前、請求異議の第4回裁判が千葉地裁民事5部で開かれた。この裁判で高瀬裁判長は、通常の手続きを踏まずにいきなり次回期日を証人尋問とする旨宣告した。認否もなされず、証人申請も未確定のこの段階で、「採用の要あると認める者から尋問を始める」などとは聞いたことがない。原告市東さんと弁護団、傍聴席は猛然と反発、弾劾して尋問の期日指定を撤回させた。拙速審理・早期結審の意図をむき出しの暴力的な訴訟指揮は許されない。

 この日の法廷で弁護団は、7月15日に東峰地区で発生した重大インシデント(※)と、権利濫用に関わる小泉よねさん和解、空港会社の離作補償問題につき主張し関連する証拠を提出した。併せて、裁判所の求めに応じて人証申立書を提出した。高瀬裁判長の強権指揮は、これらの陳述が終った直後に起きた。
 裁判長は当日出された11人の証人申請のうち、原告市東さん本人と萩原富夫さんを採用(証言時間わずか30分!)するとし、次回期日にその尋問を行なうと宣告したのである。これまでの経過からして、とても考えられない訴訟指揮に法廷は騒然となった。
 「まずは必要と認める二人について尋問する」「人証申立書は今朝もらったので他はあとで検討する」と言って押し通そうとする高瀬裁判長。
 「ここには手続きを打ち切る為の作為がある」「ペテンにかけているとしか思えない!」と、机を叩いて尋問期日の撤回を迫る弁護団。原告の主張はいまだ半ばであるし、被告空港会社には強制執行の必要性の主張と証拠提出を裁判所が促すべき段階である。この訴訟指揮はだまし討ちで手続きを打ち切るためのものと見て間違いない。
 弁護団はすでに提出済みの主張・立証計画に基づく審理の継続と、最重要の小泉英政証人、加瀬勉証人、そして石原健二、鎌倉孝夫、内藤光博の学者証人の採用を強く迫った。
 一歩も引かない闘いによって、ついに裁判長も次回の尋問期日を撤回し、弁論とすることとなったが、この訴訟指揮は明らかに異常だ。次回期日も、急ぐ裁判長との攻防の末に3月8日(木)午前10時30分となった。

 裁判報告会で市東さんは、「弁護団と法廷の迫力で押し返したが、油断すれば向こうの思うがまま。注意してしっかり取り組みたい」と訴えた。
 緊迫の請求異議裁判は、高瀬裁判長の訴訟指揮で重大な段階に入った。次回、裁判所を取り囲む大傍聴を!

※7月15日午後10時40分ごろ、貨物用ジャンボジェット機が、B滑走路南端から約85メートルはみ出して、東峰神社・民家にあわや激突寸前で離陸するという重大事態が発生した。「オーバーラン事故に準ずる重大インシデント」として国土交通省運輸安全委員会が調査中。東峰の農家の島村努さんの通報によって、闇に葬られることなく明るみに出た。

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