今年は弁護団から、司法制度の歴史に詳しい遠藤弁護士に講演をお願いしました。
真相を究明しようとせず、空港会社に肩入れし、審理を尽くさないまま不当判決、──あまりに偏った訴訟指揮! 裁判を傍聴する人びとの率直な感想です。「裁判所の門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」(『絶望の裁判所』瀬木比呂志著)の言葉は、いったいなぜなのか? 講演をお願いするにあたって問いかけたこの疑問に対して、遠藤弁護士は冒頭、次のように話しました。
「結論から言うと、三権分立は支配秩序のひとつの形態。司法・立法・行政の三権は分立ではなく一体であって、単に役割を分担しているにすぎない。幻想をもってはいけない」「以上、終わり」と笑いを誘い、硬い話の前に場を和ませて、ますますひどくなる「司法反動化」の歴史について、象徴的な事件を挙げて5点に整理して話しました。
①1947年 戦後憲法制定と司法権の独立。公平な裁判所の理念(憲法37条)
②1959年 砂川事件における進歩的な伊達判決──国による跳躍上告と破棄差し戻し。
田中耕太郎裁判長と駐日外交官との会談と情報漏洩。
③1967年 良心的裁判官への転向強要と思想統制の強化
青法協(青年法律家協会)裁判官へのブルーパージ、最高裁裁判官の「血の入れ替え」
④最高裁事務総局の肥大化と人事支配
良心的裁判官の放逐、移動統制。法令解釈の統制。具体的に原発差し止め判決に対する露骨な人事。農地裁判では、多見谷(その後、沖縄で国側勝訴判決)、高裁の小林は福岡高裁所長に。右陪席の定塚は法務省訟務局移り、沖縄で国を勝たせる役割を果たした。
⑤1999年 司法改革による「抵抗勢力」叩き。日弁連の屈服・翼賛化
審理期間の半減化、労働事件の短縮化、裁判迅速化法(2年)、弁護士増員、刑事司法大改悪(裁判員制度、訴訟指揮権強化、新捜査手法)、下級裁判所裁判官指諮問委員会。
詳しく明かされる戦後司法行政の反動化の流れに、会場から驚きの声。
遠藤弁護士は、「三権分立は幻想。政治部門とともに、司法は支配秩序を支える「公共性の空間」であって、判決は科学的分析を拒否した一方的な価値判断に基づく」と述べました。
「そのための人事は最高裁事務総局に握られており、人事支配の実態は退官した裁判官が書いている」と述べるとともに、請求異議裁判の一審・高瀬裁判長が、「私は小役人ですから」などどと、進行協議の場で平気で口にするほどであると話しました。
市東さんの農地をはじめとする三里塚裁判、原発をはじめ各種の住民訴訟や冤罪事件などは、その支配構造との闘いであることが明らかされました。
そして遠藤弁護士は、「まず、この状況のもとで闘われていること自体に大きな意義がある」ことを確認。さらに、「三里塚の裁判は決して負けていない。司法権力・資本の意思を打ち砕くものとして闘われ、いまや異例中の異例の請求異議裁判にまで来た」と訴えました。
「なによりも司法権力の意思を打ち破っている。裁判の迅速化と争点整理・集中審理方式を打ち破り、徹底して証人採用を勝ち取ってきた。民事執行を停止させて異例の請求異議裁判を開かせ執行を停止させ、一審二年、証言と補佐人陳述を勝ち取ってきた。こういう闘いを現にやっている」
これは、裁判闘争・傍聴闘争、そして現地の闘いと車の両輪となることで実現できたと述べ、「闘わなければただちに負ける。闘うことによって開かれる」と述べて支援を訴えました。
講演に続いて、葉山弁護士が市東さんの裁判の現段階を報告。さらに11月7日に行われた成田空港の基本計画変更申請(第3滑走路の新設とB滑走路の延長)について、その問題性・違法性を明らかにしました。最後に大口弁護士が、弁護団としての決意を表明しました。
不屈に闘う弁護団の奮闘に、あらためて会場から大きな拍手が送られました。
シンポジウムは最後に事務局から纏めと閉会の挨拶。これについては次回。